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Posted by 安奈 - 2009.04.21,Tue
大学の後輩のデビルスキーさんが4小説の凄い感想文を送ってきてくれた!
今の今までどうしてバージルの扱いに阿鼻叫喚だったのかいまいち分かってなかったんですが、ちょっとだけ分かったつもりになれました。

しかし私にとっては理想型である事に変わりはない!
たましい はてるまで この展開を礼讃する!
懸賞ゲーム某氏にはムカッ腹が立つけどな!!

続行!追記で電波送信中!
今回は特別ひどいぜ!

妄想感想その2から続く

ネロがサン・オブ・ダンテであるとか抜かした前回感想を踏まえた上での仮定です。
ダンテとネロとバージル。
父と子と精霊。
三位一体。
自分でも「それはないw」と笑いそうになるのですが、どうしても引っ掛かりが残ります。
それは4の舞台であるフォルトゥナがスパーダを神と崇めている点です。
そこに1を経てスパーダを越えたとされるダンテがやって来る。
DF1の255p.でサンクトゥス対しバージルは「かつての神か、それを越えた神の子か」どちらを崇めるかの選択を将来的に迫られる事を仄めかしています。これはバージル自身が真のサン・オブ・スパーダとなる未来を見越しての問いかけだったと伺える為、この場面はテメンニグル以前のエピソードだと読み解く事ができるかと思います。
しかしテメンニグルで決した継承者争いは結果的にダンテが勝利を収めました。
これまでダンテは救世主だとしつこくほざいてきましたが、4に至り、ダンテはもはやメサイアではなく、
全てを超越した存在=神として描かれているのかもしれない、そう感じました。
(そう思えば、4ダンテの得体の知れない怖さは納得できる。人智を超えた存在であるなら畏怖を覚えて当然)
傍観者であるダンテの立場は傍らに立つ者ではなく、世界を広く見通す視点としての立場と思えるのです。

またダンテが神となり、人類の救世主の立場から外れる事で、シリーズは4から新たな様相を見せます。
1は主要キャラクターの名前が神曲から選ばれています。
3は1の名前を踏まえて、神曲の煉獄編のイメージを喚起するモチーフが各所に投入されています。これによって1は地獄編であると間接的に示されたと見ることができます。
神曲原典では、ダンテの旅は一週間。地獄編は日没から始まる24時間で、煉獄編に至るまで太陽の無い夜の世界を旅しています。
1も2も3も舞台は夕暮れから夜明けの夜の世界でした。
言うまでも無いように、敵は悪魔。魔界からやって来た純粋な夜の眷属であった為、太陽の下はそぐわないものだったのでしょう。
この夜の世界を一晩で巡るのがDMCの無言のルールだったように感じています。

しかし4になって、いきなり木漏れ日が美しい森林や、晴天の下の大立ち回りがありました。
夜の闇よりも、太陽の光を感じさせる青が基調の風景が印象的でした。
ゲーム中にはそう感じなかったのですが、DF1での描写を見ると、教団が人と悪魔を掛け合わせている、という部分が特別強調されて描かれていました。ベリアルやバエル等は地獄門を介して召喚された悪魔ですが、エネミーの多くが「純粋な悪魔ではない」ような印象が読後に残ります。
この純粋ではない悪魔というのが一つの要素。
また、ボスの多くが教団幹部で、悪魔と戦った、というよりも、悪い人間と戦ったという印象もあります。
悪い人間の敵、これがもう一つの要素。
そしてネロです。
DF1を読んで、最も印象が変わったキャラクターがネロです。
4ゲーム中に何一つ明らかにされなかった為に、ネロは新主人公でありながらDMCユーザーにとっての異端児でした。
これまでのシリーズと関わっているのは、スパーダの血族であるという曖昧な言い回しだけで、後はネロのキャラクターとしての魅力だけで納得するより他になかったのです。
私は4一周目を終えてから、4はあくまで新章の序章で、5から徐々にネロの出生、右腕の謎が明らかにされて行くものと前向きに捉えていました。少しずつ真実が暴かれて行く過程も魅力的に思えたからです。
しかし、DFの発売によってその過程は奪われてしまいました。
ネロが主人公である絶対的な理由を示唆してしまったからです。
DF1を読む限り、ネロは右腕が変化するまでは身体能力は優れてはいたものの一般の基準を大きく上回る事はなかったようだし、外傷もすぐに回復するという訳でもなかったようで、彼は少し変わり者の、しかし普通の人間として周囲に認識されて育ったようです。
ネロ本人も、この認識に違わない、どちらかといえば劣等感が強い、キリエに恋をしている、クレドを少し疎ましく思いながらも愛している、どこにでもいそうな十代の少年でした。
しかし悪魔の腕を手に入れ、ダンテに出会い、彼の運命が大きく動き始めます。
DF1でネロの印象は「スパーダさんちの親戚」から「みにくいアヒルの子」に変わりました。自身の正体を知らず、群集に埋もれる貴種としての物語です。ダンテが「あの麗しの幸福の鳥」であり、ネロ自身がやがて本来の姿を取り戻すその眷属の子であったからです。
DMCは端緒から貴種流離譚です。(この手の話の記事を書いた様な気がするんですが見つからなかった…)
1~3はスパーダという英雄の息子と、それに纏わる人々の物語でした。
ネロがスパーダの子孫であっても、この構図は成り立つでしょう。しかし、バージルを組み込む事によって、ダンテという英雄像の完成と、繋がってゆく血筋の系譜、ひいて言えばシリーズ全体の連続性が浮き彫りになってきます。
またこの出生はネロ自身が英雄となる運命である事を物語っています。
しかしこの英雄は人知れず悪魔と戦った戦士ではなく、人の世界で太陽の下で歓声を受けるホメロス(或いはウェルギリウス)の詩に出てくるような人間としての英雄です。ギリシャ神話や古典詩の英雄には人と神の血を継ぎながら不遇の環境に身を置き、やがて偉業を成し遂げる人物をちらほら見かけますが、ネロはそのパターンではないのかと思うのです。
そして、このパターンで読み解こうとした時、付きまとうイメージはキリスト教以前の宗教です。大地と人々の生活に根ざした信仰。ウェルギリウスの牧歌詩と英雄譚アエネーイスです。
神曲においてウェルギリウスは「人の知性の象徴」とされました。知性の色は青です。文明の光の色です。
純粋ではない、人の手を介された悪魔達や悪い人間の敵は文明の暗部です。DMC2や3で描かれはしたけれど、前面に押し出される事はなかった人の醜い欲望の姿です。そして教団は混沌ではなく救済、世界の秩序をあくまで望んでいました。
人間として守るために力を奮うネロとその世界観、人間が支配する秩序ある世界は、魔を示唆する赤と黒ではなく、夜の闇を払う人間理性としての青、そして人間が暮らす世界を示す太陽の光である白が最も相応しいように感じます。
逆に、ダンテがプレイヤーキャラとなったのは夕暮れから夜明け前。ダンテの服が赤い事も一因でしょうが、各ステージの暗がりはネロが進んだ時よりも有機的に見えるように感じました。
こうしてリンクして行くイメージは、ネロをただスパーダの子孫とするだけではなくバージルの息子とする事によってより豊かな姿となって行きます。だからこそ、私はネロがバージルの息子であって欲しい!

三位一体の話に戻ります。
追加説明込の4は上で述べているように、多神教古典詩、これについてはまだ触れてませんがグノーシス的な要素、様々な角度から読み解けるように感じます。
しかし、基盤は絶対神が存在する事です。
その神を誰にするかによって様相は変わりますが、私はダンテを神とした父と子と精霊を押したい。本質的に一体となった時、それが血になるのか愛になるのか善になるのかは分からないけれど。
DF1でバージルはネロの夢に現れ語り掛けました。キリストの元に遣わされた鳩のように。ダンテの時と同じく、彼が運命を齎しました。
4のゲーム中、あらゆる場面で彼の痕跡、気配が示されました。4の世界を満たす、エーテルのような存在としてバージルは今存在していると思っています。

ひとまず中断。ここまで読んでくださってありがとうございました。
まだまだ感想妄想は続きます。今後ともよろしく!
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